『溶ける。』登場人物紹介

『溶ける。』の登場人物と、それぞれの背景を紹介します。

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三橋渚

三橋渚

幼い頃に交通事故で母が他界。厳格な父親に厳しく育てられた。
きょうだいはおらず、家では家事を手伝う。
仕事で疲れた父親に口答えすると厳しく叱責されるため、次第に人の顔色をうかがうようになった。
機嫌が悪ければ発言しない、そんな生活を続けているうちに、言葉を発することを恐れるようになった。

中学時代、そんな渚をからかう同級生が現れた。
いじめと言うにはまだ遠い行為ではあったが、渚が不登校になるには充分だった。
初めは学校に行けと強く言っていた父親だったが、仕事の忙しさもあって、次第に放置するようになる。

渚が転機を迎えたのは、SNSで見かけた高校の文化祭の演劇。
相川真凜の芝居と、その後のリール動画だった。
演じている姿と、本来の真凜の素の表情、話し方が全く違ったのだ。
お芝居に、そして真凜に興味を惹かれた。

それから渚は、真凜のInstagramをフォローしてDMを送るようになる。
文通のような関係。二人は、一年余りやり取りをした。
渚にとって真凜の存在は、姉のようであり、そして失った母親のようでもあった。
父親にはできないことを、真凜が代わりにしてくれていた。
「不登校も、やりたいことが見つかれば抜け出せるかもしれないよ」
真凜のその言葉に、渚は心を決める。

真凜と同じ高校に進学し、学校に通い、演劇部へと入部する。

そして始まる演劇部のレッスン。
それは渚が想像していたものとは全く異なるものであった。

真凜からの期待を感じていた渚は、それに応えようと全力を尽くすが、あまりに自分の知らない世界で、応えることができない。
父の落胆した顔、中学の同級生の失笑、色々な記憶が蘇る。

ようやく見つけた自分の居場所を失う恐怖、渚にとってはそれが一番辛かった。
大好きな真凜に認められたい、その為には、真凜が期待する理想の役者像を目指さなければならない。

そしていつか、真凜のことが好きであることを伝えたいと想っている。

佐藤莉音

佐藤莉音

母子家庭で育った莉音。母親の影響で、幼い頃からテレビドラマ、映画を観て育つ。
女優になりたい。莉音の夢が、母親の夢と同じになるのは必然だった。
しかし現実はそんなに甘くないという事をすぐに理解する。
中学の時、母と共に受けた複数のオーディション、「合格です」とは言われるものの、求められるのは高額なレッスン費用。

裕福ではない莉音の家は、数十万円もかかる費用を払うことが出来なかった。
「合格したのに…」幼い莉音は、家庭環境が原因だと、母親と揉めるようになる。
その後、母親は莉音の為にパートを増やし、借金も抱え、事務所に所属させる。

これで夢へのスタートが切れた。そう思った莉音だったが、それは勘違いであった。
レッスン費を取る事務所の現実。それは、悲惨なものだった。
高額なレッスン費とは裏腹に、指導するのは名も無い演技講師で、オーディションの情報もゼロ。
SNSも禁止され、実質、監獄のような場所に閉じ込められ、お金だけが毎月吸い取られる。

母親は、それでも莉音が活躍をしてくれる事を信じて、体調を崩しながらもパートをこなす。
一年が経った。仕事もオーディション情報もない。
それを事務所に伝えても、「まだ実力が伴っていないから」と言われて終わる。
契約更新、また数十万円を求められた。

母親は、もう少し借金すれば続けられるから、そう言って更新をしようとする。
莉音は自分が母親に言った心無い言葉を思い出す。
「パパがいればこんな貧乏じゃなかった。ママのせいでパパは出ていったんだ」

莉音は更新を辞退する。
母親に謝り、演技が出来ればいい、場所は問わないと伝える。
そして見つけてもらった市民団体の劇団に所属する。

”芸能界には、人の夢を利用して私腹を肥やす人間がいる。”
その事実は、莉音の心に深く刻まれた。

莉音の夢は、自分自身の成功の為だけではなくなった。
信じて尽くしてくれた母親の為にも結果を残したい。

しかし市民団体は、志のない地域のおじさんやおばさんが集まっている場所でしかなかった。そんな時、高校の文化祭で真凜の芝居を観る。

それは、莉音が目指す芝居だった。
事務所時代も、市民団体時代も、莉音には演技を学べる相手がいなかった。
だから優れた芝居をする真凜の演劇部に入り、全力で技術を吸収しようと考える。

星乃ひなみ

星乃ひなみ

ごく普通の家庭に育つ。家族も仲良しで、特段問題もない。
演劇部に入ったのも、女優を目指したいという強い思いよりも、部活を選ぶ中で面白そうだったから、という単純なもの。

全てが高校生活のただの一部になるはずだった。
高校を卒業して、大学に進学して、就職をして……。

しかし歯車が狂った。
演劇部の顧問、杉センのせいで。

杉センは自分の立場を利用し、生徒をセクハラの対象にしていた。
演技指導という名目で生徒の身体に触れ、役作りという理由付けで生徒を洗脳し、自身に触れさせていた。

コウタ。杉センが理想とする男性キャラクター。
”コウタは暴力的、言葉よりも先に手が出る、相手が苦しむのを見るのが快楽。
そして、女を下に見ている。”

杉センは自身が理想とする男性像を生徒に演じさせ、そして自分を襲わせる。

何か指摘されても、「それは演技指導の一部だった」。
そう言い訳するのが杉センの常套手段。

演技に対して純粋な真凜は、コウタを理解しようと努力する。
その役作りの過程において、ひなみとの距離が縮まり、ひなみはそれを、自分に向けられた好意だと勘違いしてしまう。

杉センは最初から言っていた。
コウタはひなみがやるべきだと。

人間には、陰と陽、様々な素因がある。
ひなみは元々コウタに近い素因を持っていた。
しかしひなみ本人はそれに気づいていなかった。

普通の家庭で、真面目な生活をしていたひなみは、自身の内側に眠っていた衝動を理解していなかった。
しかし必死にコウタになろうとする真凜と触れ合った時に、それが大きな波として現れ、ひなみを飲み込む。

ひなみは、杉センのやっていた事を洗脳だとは思わなかった。
ひなみにとって、それは確かに演技指導だったのだ。
他者に成ること。それを成し遂げる為に必要なメソッドが詰まっていた。
スタニスラフスキーが長年かけて作り上げた演技論と近い答えを杉センは見つけていた。

ただし、スタニスラフスキーが求めていたのは芸術としての芝居、対して杉センがやっていたのは、私欲を満たすためのもの。

ひなみの人生の歯車は狂ってしまった。
人を思い通りに動かすことに、杉センと同じ快楽を覚える自分に気づいたから。
しかしひなみはそれを否定するでもなく、杉センを追い出し、その欲望に向かって進み続ける選択をする。

相川真凜

相川真凜

父親が映画カメラマン、母親は映像編集者。
幼い頃からエンタメに触れて育ってきた。
父は真凜に映画監督になって欲しいと思っていた。
だから色々な映画を真凜に観せた。
ひとつの方向性に凝り固まって欲しくない。だからジャンルも国籍も問わず、色々なものを観て欲しい。

しかしそんな父親の考えとは裏腹に、真凜は変わった嗜好を持っていた。
ひとつのものに集中すると、そればかりを繰り返し、観たり聞いたりする。

例えば音楽。ひとつの曲を気に入ると、一日中その曲を繰り返し聴き続ける。
それは映画も、漫画も同じだった。延々と同じ作品を観続ける。
そしてそれは、エンタメ以外の私生活においても同じだと両親は気づく。

気に入ったものへの執着・固執が人一倍強いのだ。
ただ繰り返し見聞きしているわけではない。繰り返しの中で新たな発見をし続けている。良作とはそういうものだとも言う。
繰り返しの中で新たな発見があるものだ。

ただ、真凜のそれは人並み外れて強い。

父親はそんな真凜の特性を理解したうえで、やはり映画監督に向いていると考える。
そして自分の周りの役者などを集めて、短編映画を一本作らせる。
しかし人一倍こだわりの強い真凜は、役者への要求が尽きず、撮影が全く進まない。
挙句の果てに、役者そっちのけで自分自身で演じるという行為に至る。
しかしそこで真凜は、映画を作ることよりも、キャラクターを掘り下げ、自分自身で演じることに興味を持つようになる。

真凜と杉センの出会いは必然だったのかもしれない。
杉センの目指す芝居論は、私欲の為だったとはいえ、キャラクターの掘り下げという面においては、正しい側面を持っていた。
真凜は杉センのもと、コウタという人物を掘り下げていくことになる。

そしてひなみの中に男性的素因がある事を、演技を通して感じる。
だからコウタを演じるのはひなみであるべきだと。
しかし実は真凜の中では未だに葛藤があった。
素因そのものを変える手段があれば、自分がコウタになることが出来る。
本当の自分自身を消し去り、完全なる別人格になる。
それが真凜が求めている理想の芝居。

今もそれを体現する為に、人間の思考とは何か、を考え続けている。

舞台『堕ちて、溶ける。』は、10月22日(木)〜25日(日)、アトリエファンファーレ東新宿で上演します。
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